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2008年6月11日水曜日

照屋寛正物語(1)

1950年前後?(旧)具志川市に生まれる。
子どもの頃は、ごくふつうに、ギブミーチョコレート!とやってたそうですよ。


父親が三線達者なので、寛正少年も、とても興味をもっていました。
ところが照屋家では、こどもは三線禁止?でした。

父が家にいないとき、こっそり楽器にさわると、あとで必ずバレて、すごい怒られました。
楽器をケースにしまうとき、ヒモで結びますけど、その結び目が、寛正君が元通りにできないよう工夫されていたんだとか。
それほど、当時の沖縄では、三線が家宝のように大事にされていたのです(←とC花さん語る)


…というわけで、三線デビューしたのは、学校をでて働いてから、18歳のころ。


仕事で運転中に「三線教えます」の看板を発見。最初に師事した先生が、山内昌栄氏でした。
初めて習った曲は「祝い節(遅)」


「唄三線、はじめたばかりのころは、どんな苦労しましたか?」ときいたところ、
「いや?べつに…」だって。

もう最初っから上手だったみたいですね。



つづく

 

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