「芭蕉布」うんちく

 

芭蕉布の誕生にまつわる話

リンク先はpdfファイルで長いので、テキスト抜粋してここに貼ります。

 これほど長く愛され、歌い継がれている沖縄の歌はそうないだろう。修学旅行や懇親会など集いの場で、のど自慢やカラオケで、そして多くの歌手によって。それが吉川安一が作詞、普久原恒勇が作曲して一九六五年に発表された「芭蕉布」だ。

 沖縄音階ではないにもかかわらず、南国のゆったりした空気に包まれたような郷愁を漂わせる。「海の青さに 空の青 南の風に 緑葉の……」詞には沖縄の自然の美しさや豊かな人情がうたい込まれている。

 曲が先にできた。沖縄に滞在し、RBCが初めて手掛けたのど自慢に似たテレビ番組「タナベ日曜ホール」にゲスト出演していたハワイ生まれの沖縄系三世の歌手、クララ新川のために「沖縄らしい曲を」と知人から頼まれた普久原は「外国の人にも歌いやすいように、日本にも沖縄にもない常識破りのパターン」で作曲したと言う。普久原は、西洋音楽でも既存の沖縄民謡でもない新しい沖縄の楽曲づくりに情熱を傾けていた。

 曲は割りと短時間にできあがったらしいが知人に依頼した、一番は大和口、二番は英語、三番は「混有型」の詞がなかなか仕上がってこない。そこに、東村で中学校教師をしていた吉川から「芭蕉布」と名付けられた詞が持ち込まれた。

 鳩間島で生まれ育った吉川は「母が芭蕉布を織っていたが、その幼いころの記憶を縦糸に、亜熱帯海洋性の温暖な自然の美や独自の言語、文化を横糸にして」ふるさと沖縄賛歌を詞にちりばめた。とくに「地域を特定して詞を書いたわけではない」と言う。

 海の青さ、空の青さには「温暖な気候や自然の美、自分の母だけでなく沖縄の女性の明るさややさしさを象徴させる」とともに「平和の色彩」のシンボルにもした。「芭蕉は情けに手を招く」には「沖縄の人たちのチムグクル(心根)、イチャリバチョーデーの精神」を込めた。

 クララ新川が歌う「芭蕉布」はRBCのテレビ番組で放映、世の中にデビューする。ラジオ番組「ホームソング」でも紹介され、並行して音楽テープが売り出される。人々に歌われるようになり、徐々にではあるが広まっていった。