そして、コザまで足をはこび、登川誠仁氏の自宅へと、稽古に通うことになりました。
泡盛のみながら唄う?みたいなイメージがある、誠ぐゎーですが、ふつうに、真面目でキッチリとした指導だったみたいですよ。
入門した初日に、登川先生の前で、まず1曲、唄ってみたところ、
「なんだ!(山城)幸夫は、そんな教え方をしとったのか」
と、叱られた?のが、印象に残っているとか…
ところが、ここでは1曲だけ習って、こんどは照屋師匠のほう、みずから、辞めることにしたそうです。
理由は、まず、登川教室では総じて、ちんだみのキーが高くて、照屋先生のノドには、高音が、かなりツラかったから。
そして第2の理由が、このころちょうど、大失恋をしたから!!!なんだそうですよ。
↑の詳細は、まだきいてないので、日曜の打ち上げで、みなさん、ききだしてください。
つづく