照屋寛正物語(2)

三線を習いはめて2ヶ月、ようやく祝い節が完成したころ、山内先生が引っ越してしまうことになりました。


別の先生をさがして、入門したのが、山城幸夫氏。
ここでは3曲ならったそうですが、どの曲だったか?は忘れてしまったとのこと。

そして、早くも!ひと前デビューしています。
友人の結婚式にて、唄ったのは、祝い節(早)。

↑祝い節、照屋先生かなり好きな唄で、いまでも飲み会でよく唄っていますね。


沖縄ですから、おけいこが終わった夜は、酒呑みがはじまります。
まだ若い照屋先生は、先に帰るわけにはいかず、いつも遅くまで付きあわされます。
バスもなくなり、深夜、歩いて帰宅するのですが、月あかりもない、まっ暗な、さとうきび畑のなかの夜道は、風が吹くとザワワッと鳴って、とても恐ろしかったそうです。

どうやら、オバケとかが苦手なひとのようです。


つづく